2015年9月14日月曜日

自分の取説

すでにモジュールは陳旧化している。
したがって軸組からツーバイフォーなんてことにはならない。
建前なら壊してできるが、人間は生身ゆえブルドーザーで壊せない。

しかし、スペックが劣化しようと、型古パソコン の如く、ああでもないこうでもないと使うほかない。
だから、焦れない、急げない。
スペックの弱いのに、無理な負荷をかければフリーズするは、それを越えるとHDが終わる。

それを承知しながら、年をとればとるほど、スペックが劣化するほど、イラチ、タンパラになる。
PCならぶん投げてやろうかだが、年寄自身ならジジキレ、ババキレとなり、ろくなことにならない。
根に自愛心、隠忍自重があれば、まあがまん、適応が肝要。

各論的には、時間管理、労力適正配分、年寄型技術革新の模索等々がレゾルーションになるわけだが、容易でない。
ろうたけると、弁解がうまくなり、サボることを合理化し、なかなか短いだろう余生の料理に長けるようにならない。
また、年取ると級数的に時間の流れが速くなる。
しかも、時代は老若男女、時間に追われる現代。
ルチーンに乗っかれば、瞬く間に過ぎていく年月日。

このように、ああでもないこうでもないと言い訳に汲々としているこの作業自体が、言及を実現するようなもの。
さてどうしようか。
要見切り千両。

しかし、見切り千両といっても、実はいままで見切り千両の経験もなければ、成功譚もない。

結局、生理的範囲内で登場するドッペルゲンガーの、おいおいもうちょっとこうしないとヤバイんでないの?こうした方がいいんでないの?って声に従うほかないんだろうな。

困った他人様や組織も取り扱いに困るが、自分の取り扱いって困るのよねえ。
まあ、しょうねえか。
色即是空、空即是色、、、。

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