2015年9月8日火曜日

中ぶらりん

当地の言葉で「あずましくない」というもっぱら否定系で使われる方言がある。
どうも落ち着かない、しっくりこない、安穏でない、そういう座りの悪さ感を表現する言葉である。

ライフスタイルからすれば、セミリタイアであるので、もうどうしなくてはという気がない。
少しまえは、どんどんとこの世への執着をそぎおとしていって、フェイドアウト。持たなくなったところでハングアップしようと決めていた。

ところが、そういうつもりでも、見れども見えずの諸々が見えてくると、そうもいかぬかなと思うに至る。

スムースにいっても、余剰の歳を生きるのは楽でない。
認知症の診断をいただかなくとも、中枢も末梢もおちていくばかり。
もともと、こちらがうまくないは、あずましくないはに、ご近所から国際情勢までパラレルだから、楽隠居なんぞ毛頭望むべくもないはもちろん、こりゃわしがburstするか、この世がburstが先かの競争だなあという感じ。

まあ、そういう時代には、ひとの不安につけ入る商売が繁茂し、こうすればよしのポートフォリオが喧伝されるが、そんな特効薬があれば、こういう風にはならない。

ということで、セミリタイアの牧歌的指向を捨てて、まあカタストロフィーにらみでどう淡々とやっていくかというと容易でない。

もともと帰依する宗教もなく、イデオロギーやその支持母体、組織なんぞが魅力的に見えない体質、もちろんそうであるのは、がむしゃらな立命安心さがしなど救われないだろうというみきりがあるわけで、かくのごとく、ああでもないこうでもないと日々ランダムクオークしているわけである。

今日も、ネットでいろいろと経験。
clientに送ったメールが迷子に。
スパムメールは、頼みもせぬのに律儀に到来するのに、肝心の目途でフェイントがかかってしまう。
9割以上がスパムないしはどうでもよい送り付けられ、1割未満でかくのごときチョンボ。
便利のはずのツールがなかなか秀逸とほめられない。
ああずましくない。

わが生業として、口を糊するフィールドワークとして体験してきた領域。
医療事故調査制度が具体的にstartする前に、方々から声が聞こえてくる。
別にいまに始まった話でなく、自分が知らずに足を踏み入れた20年足らず前から、理屈で言うようにならんのねと右左から思い知らされたありさまである。
最後は存在そのものが地雷のごときclient、patientに塗炭の思いを何重にもプレゼントいただいた。
まあ、鵺の立場できたゆえ、そのこと自体の曖昧性を、自分が指弾のtargetにしていただき味わったので、まあ安くない授業料、人様から口を糊するresourceをいただくのは、こういうリスクも甘受することなのねという摂理を身をもって拝受もした。
そういう身で、SNSでfollowしているactiveドクターたちの言いたいことも、素朴にはわかるし、逆にわかれど自分の踏んできた軌跡と、自分が参照枠としている社会科学的目で検討してみると、通りそうなところと、無理筋がみえてくる。
賛同してよいところと、下手をすると贔屓の引き倒しになりかねないところを気にすると、婉曲な言及にとどまる。

さきほど、医療系のMLで患者側から医療事故調査制度にactiveに物言う活動をしている某氏がシンポジウムの広報を載せていた。
参考にpasteしようと思って引用許可を求めたが、ちょい遅れでclientへの業務mailゴテゴテのあいまに、これも保存先がわけわからずになった。
こちらの登場人物は、もちろんドクター戦闘派の裏返しで、強面当事者、代理人等々である。
もちろん、この間には、厚労省、日本医師会、従前からの社会実験的調査試行の実務家集団からなる一番中心を担う層があり、この立場で開かれたシンポジュウムの質疑応答など読むと、左右の声に挟まれ、やるほかない人々の実務家的物言い、含意もよくわかる。

そんなこの頃、ある医療系の講演会のポスターをみた。
Aiの研究者のこの領域に関連した現状解説だが、略歴をみて驚いた。若い、その領域であまりキャリアを積んでいない。
これはどこもそう。あまり人が集まらない領域はみんなそう。
だから、大きな質の高い構想を法律や言葉でぶちあげても、インフラは絶滅危惧種が担うということになり、結局理念だおれになりかねない。

これもありさま自体があずましくない。
まあ、病人になってみれば、こういう構図とはあまり関係のない自己決定に悩むところが大きく、それも自身が命がかりの病気や事故を経験した身からすると、あずましくない。

一番首根っこが落ち着かないのが、国際情勢であるが、前の大戦前もこんな感じだったのだろうか?
情報社会で対応策も昔に比べ洗練化というか、目の子はつけやすくはなっているが、、インフラのハッキングだなんだとか、サブプライム、中国の隠蔽ごまかしにみえるような裏目も大きい。
右の大和魂声高も左の国際常識欠如もこまりものと思いつつ、若い人がhappyそうでない、老人らが老害を噴出する図も救いに乏しく、これで冒頭に戻るが、セミリタイア根問いではないが、なかなかいいおとしどころが見つからない。

ロシアの文豪が言ったように、誰かの不幸は他の人間が連関しているだろうし、逆に幸せのインフラもめに見えず連関しているだろう。
養老師のいうように、何が起こったよりも、何が起こらなかったということが重要ということもあり、狭い家内安全というより、自分が起こさないですむことを起こさないと、今日も生きてみるか。

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