ちょいと思った話。
妄想と言ってもよいかもしれない。
われらはアニミズムの民であるといわれる。
国生み神話から、近代的工場マシンにモモエちゃん、セイコちゃんなんて愛称を付けるまで、生物以外にも心のごときありさまを見いだす傾向を持つ。
今朝ふと考えたのは、岩石のような静物にも精神のようなものがあるのではないかということ。
無機的にただただ変わらないという のでなく、スケールの大きい空間で 、われわれ個々には想像しがたい時間のなかで、解体し凝集し循環し「いま」の構成要素を作っていく。
福岡ハカセが生物で語る動的平衡のようなシズテムの遷移話を、非生物の動きの乏しそうなところにも強く感じる。
われわれのいま生きているようなテクノロジー進化の痕跡は発見されていないが、この先に人間の文明が自滅で終わるにしても、乏しい想像力で想像するだけだが、星間衝突で地球が木っ端微塵にでもならない限りない 、また再び似たような歴史をrefrainするのだろうか?
アニミズムっぽいムードでみるなら、地球なんかの物質系の魂は太陽あたりにあり、ここ地球はその支店、末梢の如く動いているのだろうか?
まあ、季節は秋。厳冬のシベリアっぽい冬をサバイブするようには予感しないので、しばらくでばらばらの物質に変身するだけのことであるような自覚で居座っているのだが。
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