自分が一番わからない。
小生なんかその典型だと自認した上で、その不可思議、不条理を痛感する。
もちろん、それでいいのかもしれない。
自分のことまで、まるまる、あけすけに、深く、浅く、みんなわかっちゃったら、いきにくい。
自分がようわからんから生きてゆける面も大事かもしれん。
駄菓子菓子、
ダブルな面から他人様の悩み事にコンサルティングするなりわいで口を糊してきた立場からいえば、相談された相手がそれで大転けして、あまりに大きなものを失うリスクが透けてみえれば、直截的な指摘や諫言も必要なときがある。
これが実に難しい。
脅して、葉や枝を枯れさせるは、幹や根まで弱れば、剪定にもならぬ。
誉めすぎれば、誉め殺しという副作用合併症が出現することもあり。
思えば、このなりわいで生きるトレーニングを、三つ子の魂がローリングしはじめた頃より、ずっと続けているように想う。
ということで、こんな表題のblogを書きながら、次の一手はなんぞと考え続けている。
病膏こうと言うべきかも?
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