2015年11月2日月曜日

選ぶこと捨てること

いつの時代にも過不足はある。
現代日本も、絶対的窮化や相対的窮乏化の議論が、かまびすしい。

しかし、デフレ時代のいま、過剰の弊害も恒常的だ。
ジャンクフード、期限切れの食材、作りすぎた料理。

捨てることにした。
全てを飲み込めば、肥満、生活習慣病、日常生活のアンバランスが、すぐにお出ましの用意をしている。

これらは食物、食材、摂食だけでなく、情報とて同じ。
情報を捨てず、溜まるにまかせれば、情報のゴミ屋敷の住人となり、積もったジャンクインフォメーションの下敷きになる。

エントロピー増大の法則に逆らって生きるには、常に捨てることが必要。
そして捨てるには、取捨選択、断捨離が必要。

断捨離か、捨離断か、はたまた他の順序か、回れ右となったり、ロンドとなったり、入れ子細工になったり、実践論的にはvarietyは何でもあり。

今日も脳内シミュレーションや、作業療法的お手玉作業で、少なからぬ懸案を、潰したり、組み立てたり、しばらくペンディングにしたり。

そんな作業に身をやつし、目的合理性の確保に腐心していると、一日ははやい。
目的合理性などと言っても、無用の用やランダムウオークで、酔拳の老師のごとく。
華麗な技を目指す歳でもないのに、ブルース・リーの如く舞って中毒死するのは身に合わぬ。
ウサギと亀の後者のごとく、ノソノソと一日を終える。

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