2016年9月29日木曜日

let it be

庭で野草を食んでいる。
飼い主がなけなしの食費で調達してくるお肉も、庭でしがむ野草も、彼らにとっては等価のようだ。

飼い主にとっても同じ状況はある。
ネットで落ちてくる情報、図書館の図書から入る知見、これらはほぼフィーフリーだが、たまに通販で購入する有対価の情報も、別に差はない。
デフレのこの時代、人々は適宜な機会利益を確保しようとするばかり。

インテリジェンスの肝は、この一瞬の判断で、のるかそるかに賭ける剣が峰だ。
余はジャンクとはいわないまでも、能書きやイリュージョンは、それはそれの扱いにするほかない。
トータルでどちらのボタンを押すかのベースが、インテリジェンスのすべてだ。

ネットにオーバーフローする情報と言説は、個別一塊のレベルでも内実は玉石混交で、アンブロックで首肯したり排除したりすることは困難だ。
こうなると、他人の喧嘩は大きいほど面白いといった性悪精神でなくとも、一丁噛むほどの刺激でなければ、八方目で視野視線の端々で一瞥するほかない。

今日も好天なら徒歩ゆく外回りにしたい。
気が変われば久しぶりのドライブでもよし。
所詮モード、されどモードで決まる。
そのときそのとき最善手を探るべし。

特に拘泥することは何もなし。
詰めてしまえばすべてlet it be.

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