2016年9月25日日曜日

朝顔につるべとられて貰い水

朝の調理に及ぼうと前をみると、眼前に犬娘が豚足をしがんで夢中だ。

踏みつけないように、回りまわって、キッチンに立つ。

彼らは、すでに飼われていない。
よほどのことがない限り、自分たちの思うとおりに暮らせるという感覚にはまっている。
こちらが飼っているつもりでも、とうにきゃつらに飼われる立場に転じている。

緊急性があって、看過すれば危険な場合以外は、まさに貰い水パターンである。
そういう慮りが出来ることが、わが喜びにもなっているので、とりわけ相好は崩さないものの、淡々と遠回りで作業を続ける。

朝方から桜チャンネルなる右派活動サイトの座談会をBGMに流す。
特に右派左派問わず、事実チェックにyoutube視聴の半分程度は、こういう硬派ネタを流すが、ショービニスティックな狭量さを顕わにして喜々とする人々には、辟易気分を禁じ得ない。
後でネット検索で下掘りしてみると、こういう連中のバックには、実は反対勢力のマヌーバーが及んでいる形跡も少なからずある。
政治経済等は、明示された言動と裏腹な力動が働いていることは、インテリジェンス的には常識的な知見ではある。

まあ、そういうことを含めて、正鵠を射ることを目指すほかない。
結局は、統計力学ではないが、ゲシュタルト心理学的にたどり着くほかないというところか。
所詮、人類という、よく考えれば、なかなか喰えない種のアドホックなセンチメンタルジャーニーが今である。
もうすぐみまかるべき身からすれば、さっさと定見に達することができれば、無用の用に徹して、余生を淡々とまっとうするほかなし。

今朝の日差しは、快く、期待値大。
愉しくすごすべし。

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