2016年9月15日木曜日

キツネの嫁入り

お昼前の外回り。
距離が近く、車も運転したくない気分で、バスに乗って動いた。

往路はスムースにいったが、帰りのバスがなかなか来ない。
そのうち、急に雨が降ってきた。
生憎カサを持たずに来たので、バスに乗る前に既にそこそこ濡れて、すぐに降車して雨中を歩く。
スーパーでの買い物はサッサと済ませたが、帰りはずっと雨に濡れたまま。

別にそう思おうとするわけでないが、降る雨は、あの仔の涙か、ぼくらの涙かと思ってしまう。
特にスピリチュアルな世界観を持っておらず、学校で生き死にの客観的叙述を教わっただけでなく、呼吸せず、さすっても、つねっても微動だにせず、身体が硬く冷たくなっていく傍に哀しく居たことを思い出せば、もう雨に濡れても冷たくはなかろうと頭ではわかっている。

しかし、情というのは、そういうところと少し、いや大いに違うところにあるようだ。
キツネの嫁入りで、雨は止んだが、いま頭をバスタオルで拭いている横で、犬息子は彼女の匂いの残る毛布に体を預ける格好で寝入っている。
末娘も、そのまたそばでおせらしく、まるで一緒にいた頃を偲んでいるようだ。

再び陽光がさしてくるのをみて、彼女の魂があの光の方に昇っていくのだろうかなどとふと思う。
スピリチュアリズムを標榜はしなくとも、そういう風に思い募る心性が、自分にもあるようだ。



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