2016年9月22日木曜日

渡る世間は鬼が島

彼岸前に、朝も少々明けるのが遅くなってきた。
ゴミ捨てに出た空には、真上に半月がみえ、星がまたたく。

渡鬼を何度もみなおし、橋田寿賀子ワールドを堪能する。
橋田脚本で渥美清の出世作品群に登場した役者さんが、元気に演技しているのをみて、ほんに高齢社会だとしみじみ感じる。

泉ピン子演じるラーメン屋のおかみが、偶然手に入ったお休みで、係累の家に邪魔をしまわって、どことも敬して遠ざけられる姿をみて、日本のある種の円熟を感じる。

日本人はおめでたい。
老若男女左右上下を問わず、その気が強い。

赤軍派は、国際テロや北朝鮮渡航で、世界の顰蹙を買った。
日本軍が八紘一宇でジャパニーズドリームを押し売って、いま安倍さんがつけ払いに世界中を駆け回っている。

桃太郎が鬼ヶ島に渡って、手柄をたてるのが、日本的英雄の原風景だから、ちょいと調子に乗ると、鬼ヶ島にいって鬼退治に成功するといいなと思い込み易い。
まわりも、失敗すると、てめえが鬼になっちゃったと論難するが、成功すると立志伝中の人として持ち上げる。

われわれは、そういう風土に生きているゆえに、そういう心性に警戒的、自制的でなければいけないが、そういうつましさを失いつつある。

今回の渡鬼で、主人公の女性がそれを悟り、まわりもお節介が失敗する姿が描かれているのは、橋田寿賀子女史の現代的センスのなせるわざである。

鬼に屈服することなく、鬼も泣いたり、惻隠の情を持つこともあることを知り、上手に鬼退治というよりは鬼あしらいに上達していくのが現代的知恵というべきかもしれない。

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