2016年9月26日月曜日

ネットワーク社会

youtubeで石平氏の対談をBGMにしていたら、中国ネタの別番組に移行した。
少々前、中国の高度成長が注目されていた頃、大連に移り住んだ日本青年の物語だ。
大学では仏教史を勉強して修士課程まで進んだが、学者になる道を諦めて、異国大連のコールセンターに勤めた。
オフィスの執務風景、朝礼の訓話まで、日本のオフィスといっても、そのまま通りそうな雰囲気だ。

給料は数万円だが、かの地の平均に比べれば、三倍ほどの高額という。
高級ホテルとみまがう高層マンションに住む。
オートロックで快適な暮らし向きだ。
年余の勤めで、リテラシーの低いクライアントに同じような説明を繰り返す生活に少々倦んできているようである。

youtubeに耳を傾けながら、先日のわが電話工事を思い出した。
セッティングなど事務的な世話をしてくれたのは、秋田のコールセンターのお嬢さんだ。
東日本を手広く管轄していて、当地との直接の関連性はない。
クラウドに保存された資料をもとに指示が出され、工事当日やってくるのは、下請けのおじさんだ。
日本でも大連でも、やっていることはほぼ同じだ。

自分も変わり者コンサルタントゆえ、昔から遠隔地クライアントの比率も高かった。
インターネットを使う毎日では、このようなコールセンターと同じ仕組みになる。
Skypeを使い、郵便を併用すれば、ドアの向こうは他府県であっても、特別の支障はない。
このところは、裁判所などで電話会議やビデオ会議も可能だから、どうしても出向く必要のある場合のほかは、このようなネットワークで業務ができる。

最近、海外留学中の知己とSkypeやHangoutでビデオチャットに興じたことがあるが、隣の部屋でビデオチャットするのと大きな違いを感じない。
自分は、どちらかというと、このようなシステムの利便性よりは、リスクや破綻時のハングアップを危惧する人間でありながら、それでもこのような手法で世の中が動くようになりつつあること、これらなしには小さな工事や買い物もしにくくなってきていることを強く感じる。

便利なようで不便、不便なようで便利な時代を生きている。
大連の青年は、家族の写真を持ちながら、年金などもかかっていない将来を少々不安に思っている心象風景が映し出されている。
日本に居ても、先の見えない日々が老若男女のデフォになりつつあるが、異郷ではやはりドア・ツー・ドアではいかないだけに、よけい望郷の念が掻き立てられるようだ。
これらも、ビデオチャットや定点カメラで、かなりフラストレーションも減殺できるだろうが、、、、。

わんこの頭をなぜながら、肉感ということも兼ね合わせて考えるネットワーク社会の光と影である。

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