2016年9月21日水曜日

わがこと、ひとごと

朝のゴミだし、雨なし。
特に寒くもなく。

朝のBGMのお題探しで、渡鬼に遭遇する。
最新版アーカイブで驚き。
話の進み具合どおり、登場人物の加齢具合にしみじみ見いる。
サザエさんのようなアニメならまぬがれるところが、実写のなまものなら、こうなるが必定である。
当然にテーマも高齢化が前面に出ている。

朝一ネットサーフィンの某書評から、ウイキ等で著者の学的業績を検索する。
多作精力的な高齢者であるが、セクハラ辞職の話題も散見される。
旧帝大から逃散し、私大に拾われている。
政治家も、企業家も、学者も、精力的なご仁は、本業も、フェロモンの発受信も精力的である。

朝の料理を手短にすませる。
自分やワンコの食い扶持なら、気楽に作ることができる。
これが調理人だったら、こうはいかない。
ほんとうに好きなものは、仕事にするなという。
仕事になれば、自分を基準にはできない。

仕事がらみの検索をしても同様な思いをする。
自分の懸案事なら、この辺りを目指して、こんなおとしどころを模索するが、クライアント相手なら、そうはいかない。
自分にとってはどうでもいいと思えることでも、他人様の思うことは、自分とは異なる。
これが私事と仕事の違いである。

ただ、仕事でも、完全に自分なくはできない。
とてもそのようなモードを求められても、結果は出せないと判断されることごとは、謝絶するほかない。
この時代、当事者が当事者の殼に籠って手筋のよくないスクリームを繰り返すケースが少なくない。
よって、乗りにくい環境だ。
金融緩和に力を入れても、なかなかまともな借り主が得にくいというデフレ時代の風景に似る。
昔と違った難しい時代性ではある。

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