2016年9月19日月曜日

日和雨

朝の陽ざしが明るく入ってきたので、庭に出てみると、小雨に濡れる。

天気予報によると、これから晴れに向かう様子で、無理せずにすぐに家なかに戻る。

なんの祭日か知らなかったが、今日は敬老の日らしい。
爺くさい生活だが、まだ前期高齢者にも入れてもらっていない中途半端な季節。
ところで、この転変の激しい時代、敬老の日も、敬して遠ざけていただく記念日かもしれない。
どうしても年が寄れば化石化は進み、自分が付き合う先行世代の人々にも、ほとんど漏れなくうざったさを感じるので、しっかりと他山の石として自戒しなければならない。

敬老の日、朝方から、安住紳一郎の日曜天国とオードリーの深夜放送の最新アーカイブを聴く。
前者の愛玩動物投稿で、インコがもう寿命かと思うほどグッタリした姿に、獣医のアドバイスに従ってアガリスクを投与したら復調した話、うちも補中益気湯でも飲ませてやればよかったかとふと思う。

後者の話題で、若林の財布喪失譚を聴く。
ドトールか、スタバか、某著名チェーンコーヒー店で、トイレに入った若林氏。
置き引きを恐れて、財布を持って、トイレに入るが、個室式の手洗いの横に財布を置き忘れたという。
一時間半ほど後に財布がないのに気づき、再びトイレに入るが、すでに亡失していた。
置き引きに間違いないとの結論で、クレジットカードとキャッシュカードの停止にかかるが、焦っているので、なかなかササッといかないが、それでも何とか止めることができた。
その後、派出所に紛失届を出し、各所で健康保険証や運転免許証その他の再発行に奔走する。

これらの負担は、若林氏に特異なことでなく、伊集院光氏も深夜放送で、後に出てきたものの、紛失届で失効させたすべてのカードや重要証明書の再アクチベーションに多大な精力を奪われた経験談を語っていたことがある。
わが知人からも、最近似たような経験をして、大同小異の苦労を味わったという述懐を聴いたことがあるが、ほとんどが電磁的手段でID認証される時代、どうしてもそういうものを一塊に財布やポーチに集め持つ現代人、窃盗や紛失で、瞬時に相当不自由な迷子になるよう運命づけられている。

わが経験でも、すべてを失くしてしまった経験はないが、ニアミス的体験はいくばくかある。徒然草ではないが、所有物よりなにより、自分が生きていること自体が貴重との考えを持って動いてはいるが、命が確保でき、ながらえられたときに、大事なリソースを一挙に奪われるのは、これまた致命的な苦境につながりかねない。
窃盗や紛失でなくとも、ひとたび入院などで個人認証が困難になると、下手をすると、預金その他が一瞬でフリーズされるに等しい状態に陥りかねない。

そういうことを思いつつ、段々とアビリティが落ちてゆくわが加齢をみつめて、ささやかに人生を自愛、敬愛する日とすることとする。
日差しがしっかりしてきたので、こまめに庭遊びに興じることができそうだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿