2016年9月27日火曜日

みんな夢の中~♪

早寝早起きで、夢から覚めるが、どうも人生をやりなおして、某所で修行中の夢だったようだ。

安直な夢分析は当たるも八卦当たらぬも八卦だが、夢いっぱいにこんな人生もう一度やってみたいなんてファンタジーでなく、きっと己の人生に忸怩たる思いを噴出させて、慚愧の念を思いっきりドラマ化した夢だと理解している。

それでも、よほどの悪夢でない限り、夢に遊ぶのは好きだ。
覚醒時に思うことや考えることは、それ自体を認識対象にできるから、俺はまたこんなこと考えてらあなどと即時にそれをプロファイリングできてしまうが、夢の中では、無意識の旅をそのまま丸ごと味わうことができる。
そして、醒めてから夢の名残にたどりつければ、俺は無意識でこんな風に思ってるんだと、自分の指向のテイスティングも素直にやりやすい。

時間感覚は人それぞれなので一般化はしにくいが、邯鄲の夢などという話があるように、また信長が最期に下天の夢と舞ったように、人生には一睡の夢のような側面がありそうだ。
夢についてB級C級グルメの自分は、日々いろいろとみる夢を楽しむのが好きで、一夜の夢でなく、千夜一夜の方がうれしい。

今日は、知己がSNSに思考論をUPしているところを、目覚めに遭遇したので、夢だけでなく、唯幻論や共同幻想論などにも思いをめぐらせた。
昔、学生の頃、ある教官の「戦争体験のように辛すぎる経験をすると、なかなか口にしがたい」という述懐を聞いたことがあるが、そのような方の悪夢は辛すぎるか、夢でも言葉や物語にすることはできず、抑圧し切って夢にもみないのかもしれない。

まあ、宇宙論的時間というほどもなく、生き物が個体として生きることができる時間は短い。
夢もうつつも、思い切り味わうにしくはない。

0 件のコメント:

コメントを投稿