2016年9月14日水曜日

喪の作業

残された仔たちが、特別に死の意味を知っているわけではないようにはみえる。
逆に、はしゃいで騒ぐようなしぐさもみせる。

それでも、飼い主が追想で涙をぬぐっていたりすると、そばにきて慰めるようなしぐさもみせる。
黙って彼らの様子をみながら、喪の作業に浸っている。

シンクロニシティというか、つけたyoutubeでいきなりレクイエムが出てきたり、ちょっとしたことでもそんな因果話風に思ったりもしている。

そんな状況で黙って彼らをみていると、犬息子は急にいなくなった母兼姉の最期にくるまっていた毛布の匂いを必死で嗅いでいる。
顔をすりつけて、涙をぬぐっているようにもみえる。
犬娘も末娘でおお転婆なくせに、犬息子と同様黙ってなにか思いにふけっている。

人も、それと暮らすわんこも、群れの動物ゆえ、パートナーについては、結構センシティブであることが、こういう姿でもよくわかる。
人も彼らも、日々の推移で、こういう欠落にも慣れていくのだろう。

ところで、盲導犬や介護犬がリタイアしたあとに、専門の老後施設に引き取られたのちに、幼少の頃に育てられたパピーウォーカーが訪れると、ちゃんとわかって旧交を温める風景をみせるという。

彼らも、人間のような主知主義ではないが、ちゃんと「わかって」いるのだ。
かえって、人間がボケるケースに比して、最期までしっかりわかっているのではないかと思ったりする。

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