2016年9月10日土曜日

温故知新

プリンターやコピーのスムースに動かないことへの対策に、いろいろと独り作戦会議を展開する。

やはり、自分のライフスタイル、手順を考慮すれば、SDカードから直截プリントアウトできるマシンがあれば、問題の9割以上は解決できる。

ネット検索すれば、メジャーではないが、いくつか浮上した。
適価なものもある。
しかし、またマシンが増えるのも困りものだ。
スマホやタブレットほどハンディーなものでもない。

ああでもない、こうでもないと思案して、現有プリンター機のドライバーをパソコンにインストールする作業を進めた。
こうしてもうまくいかずに、少量を急いでプリントアウトしなければいけない状況になったら、またコンビニコピーを利用すれば支障はない。
原本の取り忘れさえ注意すれば、コスト的にもリーゾナブルである。

そんなこんなの調整作業をしている際に、BGMにしているyoutubeで黒澤明監督の青年たちとの掛け合いや大島渚監督との対談に遭遇した。
巨匠の故事来歴、ポリシーを堪能する。
やはり、その世界で傑出した人物の自己言及は、たいしたものである。

ここで痛感したのは、温故知新の重要さである。
吉田兼好のいう「先達はあらまほし」の言葉どおり、凡人が独りよがりで思い込むと、常識や基本知識を欠いてあやうい。
人生の終わりかけに、そのことを強く思うに至る。

そのためには、傾聴機会の確保とその慎重な吟味の質と量の強化が重要である。
ただただ感化されてマンセー状態になっても、疑問や唾棄ばかりで実質拒否反応になってもうまくない。
明らかにこれは間違っているな、おかしいな、話にならんなというレベルは、カットオフする必要もあるが、そればかりに流れてもレベルが低くなる。
この辺りの調整能力が上品な仕上げの要諦である。

もちろん、それには、自己の研鑽が、ひとさまのことを論うよりも、さらに重要である。
ものを知る、正しく身に着けるというのは、容易なことではない。

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