2016年9月9日金曜日

マルチメディアというほどでなく

このところ色々な不具合の整復や改良に奮闘している。

昨日のプリンターの不具合で、コンビニのコピーを利用する仕儀となったことから、今日は休眠中のコピー機を引っ張り出した。
最近はカラーコピーが当たり前の時代で、このようなモノクロ中堅機はもうピークは過ぎている。
新品のトナーも一個残っており、使うことができれば、使ってみようか程度の趣旨だ。

結論からいうとハングアップとなった。
その理由もチンケだ。
コンセントにつなぐコードが見当たらない。
わざわざ手間と金をかけてジャンクを探すほどの残存価値はない。
インテリア兼ゴミ残置の元の状態に戻った。

モノやサービス、システムを生かし続けるには、そこそこ使わないとダメだ。
使わないとモノも錆びつき、システムの動きも陳旧化する。
逆に、使いすぎると摩耗して、耐用年数が切れると終わる。
両極端を排して、うまく使い続けないと、よいユーザーになれない。

この辺りは、ユーザーのライフスタイルや世の流れに関係するゆえ、見通す能力涵養の研鑽が必要だ。
子供っぽい「使って減るわけじゃなし」の不良少女っぽい幼稚さもダメだが、年寄りの「長年新品の形のまま維持してきたから値打ちもの」というアナクロもダメだ。
日々のメンテナンスを欠けば、陳旧化、使用不能が駆け足で到来する。

こんなこと今更思い知るのも片腹痛い、恥ずかしい話だが、このところやっと思い知ったところである。
しかし、知るということやリテラシーの向上に遅いということはない。
知った上でのキップの良さが大事だ。
愛読書の「センセイの鞄」で、ヒロインのツキコさんがおばさんだかから聞いた言葉「愛情も手入れが大事。できなきゃ立ち枯れさせるのも一法」。

そのとおりだ。
己の心身の維持や人間関係、世界との関係も、すべからく同じである。

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