2016年9月23日金曜日

渡る世間が鬼ばかり

別にドラマの題名がはじまりではない。

うんちくを調べてみたら、日本では「渡る世間は鬼ばかり」ではなく、もともと「渡る世間に鬼はなし」という諺があるという。
その謂いは、「世間には鬼のような人ばかりではなく、親切な慈悲深い人はたくさんいる」 ということで、つまりは「渡る世間は鬼ばかり」と言っても間違いではない。
外国には、「Good folks are rare.Reality is cruel.」という言葉があるという。
まさに「渡る世間は鬼ばかり」そのものだ。

ところで、このところ「渡る世間が鬼ばかり」化傾向が顕著である。

昨日も、先の参議院選挙で当選した青山繁晴氏が、ホームページ等に非常に攻撃的なアクセスが看過できないと語っていた。
もともとアクティブな右派活動家であるから、国会議員ともなれば、どんなささいなことででも失脚させてやろうという人々が手ぐすねを引いているのは、特別に不可思議なことでもない。
ただ、目に余る行為で第三者に損害が生じてはとの考慮で、彼のホームページもコメント書き込みにかなり防御的なバリアを張るような態に転じている。

ところで、マウスも単独で相手の顔も見えぬ環境で居ると、攻撃性が非常に強くなる現象がみられる場合があるという。
現代のネット環境でのフレイミングに、顔も知らぬ相手に、人を人とも思わぬような罵詈雑言をぶつける現象などがよくみられるが、人間もネズミに似た攻撃性の虜になり易い趨勢にあるのかもしれない。

もちろん、諺と同じく、理不尽な攻撃性の対象になったからといって世間は鬼ばかりではない。
敵が千人、四面楚歌でも、さりげない暖かい目やバランスのよい視線でみている援軍もいるものである。

この辺りの機微は、実際にさまざまな経験でわかっていくほかはないが、前記の青山氏のごとく、リスクに気が付けば適宜なプロテクションで落としどころを探るというものだろう。


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