2016年9月8日木曜日

一期一会

業務でもプライベートでも、世の転変の速さを感じる日々である。

サービス提供者としても、消費者としても、この時代の相は顕著である。

昔は、こういうことが出来た、今はできないということが多い。
システムが次々と改変されるので、商品やサービスが瞬く間に変わってしまう。
技術革新や、やり方の栄枯盛衰も足がはやい。
すぐに「そんな時代もあったね~♪」となる。

加えて、コンプライアンス問題や、責任は重くなりながらコストは割れる、担う個人や組織もいつまでもつやら、あるやらわからない。
政府の倒産統計に出ない、こういったこんな時代の流れに愛想をつかした、特に潰れるといった感じではない形の自主廃業なんぞも少なくない。
近所のシャッター街的風景も、そのような雰囲気で実質的に店を畳んでいるらしいとの話がわんさとある。

質の向上のスローガンの一方で、経営する苦労ですりきれるより、年金や今手じまいして残るサムマネーで余生をしのごうとするのは、ある種の賢明さでもある。
実際に無理してヘタをうてば、倒産どころか、途方もない社会的指弾を受けたりする。

このところいろいろな業者さんに諸々の依頼を試みると、ブラックでない、まともなところほど、能書きが長く分厚というか、インフォームドコンセントをしっかりと形成しようとして、更にこちらに相手にしてはならないと判断される節があれば、上手に敬して遠ざける方針の応対を受けることが多い。
企業も、客の無理を聞いて、小さなトラブルででも炎上させられたり、大きな被害が生じて、経営が続けられない事態が生じたら困るという算段が優先する。

クライアントも、このような時代を意識して、もし望むサービスが提供されなくなったら、どう河岸を変えようか、どう接ぎ穂しようか等々の算段を胸に、サービス依頼を設定する必要がある。
先日も、ある金物屋さんで、ちょっとしたモノの取り付けを打診したら、「ちょいと前まではやってましたが、その作業提供を続けるのに困難な諸般の事情もあって、いまはできないとお断りするモードにしています」と謝絶の言葉をすまなそうな物腰でいただいた。
上流からの物流確保の具合や、同業との競争激化、アフターサービスの大変さ等々を考慮して、自主的にその扱いをしない方針転換をしたようだ。

情報社会がすすみ、管理社会がより強化され、うまくいけば「何でもできますよ」といきそうな面も進む一方で、災害やアクシデントでハングアップするようなところまでいかなくとも、このようになかなか消費者が望むサービス提供にアクセスしにくい側面も大きくなっている。

そう考えれば、そのときそのとき何とかしつらえた解決策も、一期一会であることをしっかり踏まえる必要がある。
また状況が変われば、リシャッフルして、河岸を変えたり、発想を変えたりして、なんとか自分自身をハブとしてマイ企画を再構築する覚悟や準備も必須になる。

一期一会と昔から言われてきた、ものの成り立ちやその後の推移についてのこの諺も、今風にちょいとバックグラウンドやスピードが変わっただけのことかもしれない。
生きていること自体が一期一会であることに思いを馳せれば、生きているだけで大儲け、往けば重荷は即時解除と無常を悟るのがよろしいのだろう。

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