いつもの陳腐な思考と結論だが、refrainしてみる。
最新のニュースによると、Twitterが身売りを検討中だという。
CEOは反対しているらしいが、他の幹部らは将来性のpoorなことを見込んで手仕舞志向なんだそうな。
買ってもらいたいのはGoogleだという。
こういうことは、Twitterに限らない。
わがディペンドするマイクロソフトも、Skypeを傘下にしている。
個人情報も一気通貫だ。
どことどこがライバルだからと使っていたら、M&A等で速攻同一経営になったりする。
企業のありようだけでない。
この時代、ユーザーとしての立ち居振舞いが難しい。
米ヤフーから5億人分の個人情報が流出したという。
自分もヤフーJapanを利用しているが、こちらが気をつけていても、プロバイダ等で底割れ事象が発生すると、スッポンポンの危険は常に伴う。
自分で防止できないリスクの相対性理論とでも呼ぶ他ない機微だ。
金融機関は 、たびたびパスワード等を変えてリスクを下げろというが、コロコロ変えて間違えて数度rejectされたら、窓口に赴いて煩雑この上ない査問、人定質問を受ける。
病気や死亡となると、銀行やプロバイダーの厳しい処理が待っている。
肝心の機敏な処理を望むときほど、コンプライアンスやリスクマネジメントの投網にがんじがらめに捕縛される。
災害大国のわが国、地震等で家の窓や戸が変形、ロックドインされれば、監禁状態になりかねない。
最近の盗犯多発化その他のセキュリティのため重装備するきとと、災害時にうまく逃げることが、トレードオフになる。
ガラスを割って、何とか逃げたら、今度は盗人のいいターゲットになる。
平時には潤沢なリソースで便利なPCやタブレット、スマホ、その他のツール、ストレージが、悪人の物品盗や情報フィッシングのリスク大につながる。
これらも平時と災害時の時差的トレードオフの構造を持つ。
同時によくはできなければ、対策のとりようもなく、そこそこで諦めるというのが落としどころになる。
諸行無常とはよく言い得て妙だが、現代のこうしたリスクは安穏にいかず、無常感にひたっていられない非文学性が強い。
かなわん話だが、この時代に生きる以上、こう思いつつ生きるほかはない。
困ったもんだ。
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