2015年8月31日月曜日

リトマス試験紙

先に己の導きの糸などと語ったが、ひとはrandomにさ迷うゆえ導きの糸を持ちづらく、持っても足にからまったりする。
犬も歩けば棒に当たる。
何度当たってもバカは死んでも治らないってこともある。

そういうことで自省は大事だが、まずはいつもの人間動物園。
Twitterはあまりfollowもせず、followされることも指向せずやっていた。
ところが、最近話題になっていることどもを寄せ集めているボタンを知る。
これを押すと実に面白い。

例えば、今回の国会前デモ。
党派性、支持者の論理感情プロファイリング。
論理に弱い学者、脳の使い方を間違えている脳科学者、自分のお世話になっているresourceは知らんぷりの芸術家、大学生になっても小学生の賢い奴に数段劣る大学生。
政治の本来なすべきことどもを放擲してプロ市民と野合するかの野党政治家。

これは安保法制賛成派の青年らも同じで、全共闘時代の新左翼の立看字体も知らずに中国勢力ガーと叫んでいる。
彼らはいま善光寺の押し掛けのような モチーフは持たない。
あえてagentを入れれば、パクられれば工作が皆ばれる。

ちなみに、デモの集団には公安も入れば、日本人の工作員も入ってはいて、若干の暗数にはなれど、地積からみれば十万も入らない。
地方都市の人口が、あの程度の面積には無理。
前に数千人、一万足らず、周辺入れてせいぜい二万前後、三万いくかいかないか。
警察は実数把握してないと警備できないから、ちょいと多め程度に見積もる。

こういう目で見ると、橋下復帰についての声も面白い。
デモでくるくるパーな主張をしている連中が、橋下氏の動きはリアリズム、リアルポリティクスでよくみている。
人は渦中にいないと割りに素面の目を保てるということである。

さて最後に自省。
自分自身も鏡やリトマス試験紙でよくチェックするのが大事なのだが、なかなか容易でない。
やはり肝は自分自身についてである。

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