2015年8月10日月曜日

権利のための闘争

「権利のための闘争」は、ルドルフ・フォン・イェーリング(Rudolf von Jhering、Iheringとも、1818年8月22日 - 1892年9月17日)が1868年、ウイーンで行った講演がもとになっている。

その肝は、「権利の生涯とは闘争なのだ - 民族の、国家権力の、階級の、そして個人の闘争である。実際、権利は衝突の表現としてのみ意味を持っており、人類が自らを飼いならそうとする努力の顕れなのだ。残念なことに、権利は権力・不正に対し、今日の理性的な世界ではあまり用いられることのなく、不快で卑しまれるであろう方法で対抗しようとした。というのも、権利が社会闘争を真に解決しようとしたことは、今までにただの一度もなかったのだ。それよりも、権利が目指したのは、ただ単に、最終的な決定が下されるまでの間、どのように争われるべきであるかを規則に定め、それらの闘争を穏やかなものにすることであった 」ということである。

このような闘争は、時代時代の、各民族、集団によって特別であり個性的である。
また、同時に、類似性も持つ。

現在ISIS、ISILらが、斬首やテロで残忍だと世界の恐怖の的となっているが、わが国も100年余、200年足らず前には、安政の大獄や桜田門外の変で、似たような風景が現出されていた。
憂国の思想家吉田松蔭は、籠に乗せられ江戸に運ばれ斬首、反動として井伊大老は桜田門外で斬殺された。
わが国も切腹斬首、報復のテロは、そう珍しくなく行われてきた。
政治的激動期でなくとも、赤穂浪士の復讐劇にみるように、人間ドラマの表現形式の典型と言ってよいだろう。

もちろん、いまやそのような行いは許されることなく、平和裡に政治決着させることがルールになっている。

イエーリングは、ヨーロッパの法思想家だが、アメリカなどは、映画「ソルジャーブルー」で描かれたようにインディアンの頭の皮を剥ぎ、黒人を奴隷として支配し、今に至る。
銃砲とアグレッシブな攻守は、独立戦争の故事来歴より基本的に変わっていない。
これも権利のための闘争の特異的表現型のひとつである。

さて、最近知己から「交通違反取り締まりに見える日本的統治のいやらしさに義憤を感じる」との怒りとも嘆きとも取れるナラティブを聞かされたが、それこそ大化の改新、17条憲法、源平の戦い、応仁の乱、戦国時代、江戸時代、明治維新からこの前の大戦まで、わが国において育まれ続けた統治のシステムと権利のための闘争の表現型である。
ジェノサイドのごとき苛政は取らず、平家の落人集落程度にとどめ、真綿で首を締め合う力学、空気で殲滅戦的な消耗には至らない。
生かさぬよう殺さぬようといった窮屈さと自由安全。

そんなこんなの彼我を思いつつ、さて残り少ない人生、無駄に戦う暇はなし、かといってのほほんと呆けるにまかせるももうひとつ。
という根問いに興じるお盆前。
まあ、適当が一番。

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