2015年8月8日土曜日

思えば遠くに来たもんだ~♪

原爆をかまされた記念日あたりを暑さごちながら暮らしている。

師匠から課題としていただいたカントの「純粋理性批判」とアダムスミスの「道徳感情論」を探索して一応の所見所感を得た。

人生一回り後の手習いゆえに、あのとき逝っていたら、邂逅の機会もなかったわけで、言えばまあすべて遅かりしではある。

生き物が生きることができるのが、今がメインで、過去や未来は容量が相対的に大きいと思われている人間にしてしれたもの。
そう考えれば、あくまでおまけと言ってよい、言うべきであろう。

総括は明日ここにアップしようと思っているが、ひとことで言えば、牧歌的かつシビアな時代だったよう。
近代という個や自我が浮上して大変な時代に、理や情で個や社会を料理するのは、今ならいろいろ言えても、当時はたいへんだったろう。

そういう目で見るのだが、今を生きていることからは逃れえず、ああだこうだと偉そうには秤量してしまう。
あとから生まれてきた者どもの癖というべきであろう。

ところで、いまは情報社会とて、カントやスミスのように直線的でない。
あふれた情報ゆえか、ひとは多重人格的であり、あふれた情報をハンドリングできないゆえに生まれる奇妙きてれつな現象も珍しくなくなってきている。

言葉どおりの多重人格、最後は異郷ではてた三浦某、時効ぎりぎりまで逃げ回った福田某女、あのころから演技的で多重人格的なありさまがポピュラーになってきた。
いまや個人から国家までマルチスプリットというか、ミラーボールか、万華鏡か、わけわかめの言動、蠢動でコンテンツの真意など見えぬがごとく。
それにナイーブに反応する人々のアーカイックに見えることのはなはだしさ。

そんな時代にあって、とどのつまりかと危惧する炎熱気候に焼かれつつも、やはり一服の涼を渉猟して享受できたときの快感はなんともいえない。
土曜の夕もそんなころになったから、ひと遊びするかと画策中。

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