2015年8月25日火曜日

秋風はやあしで

株式市場の乱高下。
為替相場その他もろもろ。

まあリアル軍事衝突が懸念される雲行きに、情報社会での情報戦、経済、テロかどうかステルス化して見えないが多分そうだろうと噂の事故多発。
情報社会はコンピューター、衛星、その他で究極の管理社会化していることから1930年代のようなカタストロフィーは起こりにくいが、逆に情報隠蔽や情報操作による事態のステルス化だけでなく、情報管理者も振り回される擾乱要素も増える。
ハッキング、虚偽情報の流布その他による情報テロのようなことも日常的になっている。

そんな不安定感のざわめく中で、灼熱の夏から、すでに秋風といってよいだろ涼風が快い。
どの時代にも、よきことと、あしきことの質や量は変われども、両カテゴリーに分類できることども、感興があって、それが矛盾や経験によって、暗転したり、万事塞翁が馬になったりする。
徒然草や方丈記に語られているコンテンツはいまも外れていない。
人生唯一回、生老病死、一日二十四時間皆同じ。

養老翁がよく解くように、このように同じを根問うことは、裏返せば異いを根問うことである。
一言ポソッと漏らすことで、あるいは常同的に口にする動きにすることで、ちょっとした嗜好で、それらが見える。
無くて七癖、あって四十八癖。
地球の裏の人もわからぬことと、わからぬでもないことがあり、国際化社会といえど、普通は情報ややり取りする物品でふと思う程度。
実は親兄弟夫婦友人でもそう。
逆にそこを突き詰めてはいけない部分がある。
殺人の多くは、そういう近しい人間関係に生まれる。

秋の思考もやはり我流のわれ流。
トンボや蝶々とすれ違ってとか、あの野郎といったルサンチマンは、あれど活字にする気にならず。
人生の秋はmelancholyにも愛想をつかされ特におセンチにもならず。
まあそれでよし。
実にハッピーな秋の入り口であると思う。

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