2015年8月28日金曜日

自然の妙

ほんの少しまえまで暑い熱いと叫んでいたのに、いまやもう朝夕は肌寒い。
もうすぐ寒い凍れるとぼやく日がくるのだ。

汗も、不感蒸泄も、ずいぶんと減ったのだろう、ペットボトルなんぞもダウンサイジングした。
心身は特に意識せずとも自然に適応行動をとるようになっている。
春ほどの揺らめきの季節ではないが、melancholyとまではいかなくとも、ほんの少しだけ心模様もおセンチになる。
これも悪いことではない。
盛夏のころ、厳寒のころのように、苛酷な外界にtensionあげ続けると疲弊する。
春や秋はその寛解作用があるから、心も蠢くことができるのだろう。

別に暑いまま、寒いままの地でも、人は生きているゆえ、それならそれでもかまわないのだろうが、この四季のサイクルがわれらの風土を作っているような気はする。

あえていえば冗長性の贅沢。
ぎりぎり、モノトーンでも、minimumは満たせても、それだけでは不便、色気なし、うまくない。
そこに彩りの遷移や周期が入り、多様な味わいを許される。
その変化への適応が、そのまま生のリハビリテーションになる。
自然の享受だけでなく、SNSなんぞでも各位、まるでコンパチでないかのarticleに、いいねなどしているのを見ると、そういう風土なんだろうと感じる。

誉めればこうなるのだが、先般の灼熱の如く、余裕のない現実もある。
文明の利器で人工的に適当な環境を確保しようとすることが、更なる灼熱を生んだりする悪循環。
クーラーの排気などがどれだけ熱暑を高じさせているか。

まあ、それでも歳時記どおりはいかなくとも、時間をやり過ごせばphaseは変わる。
まだまだよし悪しの根問いができているうちは、OKといってもよさそうだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿