2017年11月8日水曜日

適宜な夜に

少しずつだが、思い出しおもいだし、起きる。
死んだ子の歳を数えるというが、それ以前に生々しい。
被告人に死刑判決、自分もちょいとずれるとこうなりうるのだろうか?世に腐るほどある現象であるのは事実。

両価性。
duty freeだとホッとし、一方で少し寂し。
自然といえば自然で、一番大事なことかもしれない。

tabletに、接続に必要な記号を備忘。
買い来る予定のメモ帳の記載にも関係する。
ライフスタイルの改変時には、十分に考える必要がある。

自分の意識と向き合う。
他人様の意識無意識に関与することは、かなり諦めた。
ただ、離人症的にならずに、間主観性については考える。

自分が考えること、他人が考えること、歴史上そういうことは既に古くからなされてきたことである。
要はそれにどう落とし処を見つけるかということだ。
世に、錯雑も大波小波津波もあり、押し流されるしかないこともあろう。

考えても詮ないことは、let it beにするほかない。
しかし、考えるべきことと、放擲すべきことの境界は不分明である。
そのいい加減さを生きるほかない。

これからネット一回り。
葭の随から不分明を覗く。

0 件のコメント:

コメントを投稿