2017年6月20日火曜日

心に愛がなければ、どんな美しい言葉も相手の胸に響かない

radioのある宗教講座の冒頭キャッチフレーズである。

パウロの言葉らしいが、宗教者もこれに悩むのだろう。

養老師の言うとおり、誰も自分の味方ゆえ、他人様の言葉などにぞっこんは珍しいことだ。
もちろん、求道者、帰依者、信奉者それどころか、自爆テロまであって、そうでないこともままだ。
とにかく、共鳴共振がなければ、伝わらない。

自分も師匠連に情報提供に努めるが、彼らが感応しなければ伝わらない。
折伏がモチーフではないから、せいぜい伏線および自分への再確認がmainだ。
まあ、通じればよし、通じなくともよし。

仮に、疎通性よく通じたことで、変な共同幻想が発生することも困る。
適宜な齟齬や葛藤が、あらまほしくもある。
愛だけでなく、論理、ビジョン、質感もろもろの適宜な共感性が必要だと思っている。

今日もその試作思索のために動く。
また楽しからずや。

0 件のコメント:

コメントを投稿