2018年4月7日土曜日

社会的入院考

あるnet知己がぼやく。
無理くり押し込みの社会的入院がかなわん。
勤務医してりゃあ、すぐに体験するマガゴトのひとつ。

何の入院適応もないのに、政治家だのなんだの後ろ楯で入院させろと来る。
いい加減腹が立つが、それなりに出来る人がさせようとするので、已む無く応諾せざるを得ない。
腹のたつ気持ちはよくわかる。

ただ、一医療者の立場を引いて、熟考してみれば、医療者偏奇の「正論」のようにも感じられる。
「社会的」入院でない入院があるか?
そもそも患者が人間的自然で、勝手気ままだ。

昼の優雅な時間でも、詐病でどうしても入りたいのが来る。
昔、当地で俺は真正の病気だとごねて、市立病院から大学病院へのタクシー代を詐取恐喝した893がいる。
形を整えられてくると、詐病の抗弁もできない。

逆に、軽い症状で救急車要請コンサルした大学生が、トリアージ外され、その後自宅で孤独死した。
親が市を訴えて、和解となったが、そういうこともざらだ。
某センセイのところだって、軽く診て帰したら、急性増悪でsterbenなんていくらでも可能性あり。

一次二次三次なんてホントは一気通貫。
勤務医は、自分のところの医療レベル、医療作法にfitした主張にうつつをぬかすが、在宅医らは在宅医療のマイルドなsupportの方が予後がいいとエビデンスをあげつつある。
社会はどうしても、自分の生息する社会を優先。

本来人間的自然は雑居房と心得るべし。

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