2018年7月7日土曜日

七夕が暮れてゆく~♪

不思議が次々起こる。
わんこらのリードの一本が消える、何とか工夫して難渋しながら戻って検品すると、ちゃんとある、magicを見る思い。
PCがmonitorと繋がらず、結局stand alone で使用する。
別のPCはmutism に陥る、ああでもないこうでもないの悪戦苦闘の結果、何とか緘黙症を脱することが出来た。
原因不明、修復機序不明のsuspense &mysteryが続く。
結構毛だらけで、まか不思議をappreciate 。

まあ、これが心肺停止が起こって後は冷たくなるばかりなら必死の抵抗も要するのだろうが、そうでなければ、清濁併せ飲むでよかろう。
今図書館本で映画史を楽しんでいるが、人の人生なんてsuspense &mysteryの連続。
ということで、こういうことが続くのだろう。
意識さえしていれば、いずれ真相が見えることもあり、先日も鍵束を振り回して無くした鍵が、箱の隙間に入り込んでいるのを発見、真実はかくの如し。

さて、先ほどSNSで、某心理学者のオウム所見を読む。
ひたすらアホじゃないかと思う。
まず、法務大臣が法務官僚の起案を読むばかりと心証をいう。己も矯正職員を勤めれば、いかに報復覚悟で彼らが勤務しているのか知らぬのか?、大臣だって、報復テロ含めて覚悟の裁断ではある。
次に、どこにでも居る高学歴青年らが「なぜ人は病から救われないか?」とか「宇宙に今ここに居る不思議?」と言って入信したと弁護するが、ちょいと哲学センスある青年はみんなそんな壁に対峙するが、カルトに入ってテロに手を染めることはしない。
また、ヒトラーやヒムラーを例に出して大同小異の如く、彼らを弁護するが、歴史的悪人は他者からの断罪や自裁などの究極の選択を免れないのは、歴史の示す通りである。
人は何をしようといいが、かくなる歴史というナラティブに耐えるべきものであり、死刑は決して同情されるべきものでなかろう。
井上死刑囚の秀逸な反省どおり、麻原の淫祠邪教に引き込まれてしまったこと自体が誤りだったということや、坂本堤弁護士の御母堂の死刑でけりがついた気持ちと、それでスッキリはせず、さらに人を弑することの引っ掛かりが残ることを明らかにした発表が心に残る。

ところで、豪雨地帯の声、だいぶ落ち着いたが、とても七夕気分ではない。
七夕でなくても「会いたくなったら夢でも会える~♪」

一日一日、これpriceless ~♪

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