2018年7月17日火曜日

夜半の思考回廊

フル睡眠で目覚める。
目覚めて、睡眠前の状態を反芻。
私がやっていることだが、実は私はどこにどう居るかは不明。

よく、他人はわからんと思ったりするが、ホンにそれ以上に自分はわからぬ。
操作主義あるいは仮説的に、わからぬものとすればいいのだろうが、やはり自分が出る。
漱石は死の際に死んでしまうと騒いだりしたらしく、則天去私などは飛んでいる。
鴎外はただの一私人として死ぬと宣言して、いろいろと拘った形跡あり。
小津安二郎は痛みにのたうち回った死の床で、死を覚悟したかの如くで、また映画を作ろうねと繰り返したという。
人は混沌の中で黄泉に旅立つ。
どんな犀利な人も大同小異らしい。

一発で打ち首にしてされての時代は別として、この時代はこういう風が、われらの定めであろう。

ということで、もうすぐ深夜放送。
liveを流しながら少し楽しむか。
お経のごときblog、南無!

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