東京物語を何度も何度も反芻するように観る。
小津安二郎の故事来歴まで調べ、それが笠智衆さんや原節子さんに及んだ。
名作の誉れ高く、国際的にどうこう、手法がどうこうも面白くなくはない。
しかし、自分の感覚からすれば、面白いのは時代の描写そのものだ。
その面白さを置いて誉れなし。
東京物語には、時代に置いていかれて、核家族を甘受する初老夫婦が如実に描写される。
これは手法の違う黒澤明の「生きる」にも如実だ。
子供一筋で男やもめを通して来た初老の男も、息子夫婦から疎外される。
かれはただ癌死の運命を甘受せず、ささやかな公園建設に挺身し、雪の日に「ゴンドラの唄」を口ずさみながら従容と逝った。
ここにも核家族の姿が顕著だ。
このところ時々裏を返している「人生フルーツ」は夫唱婦随&婦唱夫随で生きた九十の夫婦の物語だが、一方がなくれば「孤族」だ。
現代社会は孤族が基本となり、描くとすれば、その困難を超える愛の、あるいは憎しみの物語になるだろう。
てなことで、今日も暮れていく。
いい日旅立ち〜♪
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