親鸞が唱えた説で、昨日知人と少しディスカッションした。
非常に多義に解釈できるので、wikiで調べてもみた。
凡夫の「悪人」こそ救済されるべきという他力本願のスローガンで、そう考えればsimpleでわかりやすい。
そもそも宗教はダメっ子救済の理念がある。
だから西洋的近代自我に目覚めた漱石も、「三四郎」で美禰子に科白として登場させている。
悪人正機説に戻って、教祖と離れた自由な解釈を並べてみよう。
「善人」でも往生できるのだから、救われるべき「悪人」こそ救済される。
「悪人」と自覚している人の方が善良で、よって救済される。
美禰子さんの「ストレイシープ」たる「悪人」が救済されるというキリスト教ライクな悪人正機説。
言い出せば、いろいろ誤解精解できそうだが、まずは言葉ありき。
我が印象では、生きていくのはrandom walk、ブラウン運動、ゆえに宗旨替え乱暴狼藉の連続、それでも最期は救済されると思わねば生きては行けぬ。
極悪人は開き直って乱暴狼藉を超えテロ殺戮を行ったりするが、最期は自分も死なねばならぬ。
死ねば仏で終る。
そんな日本人的解釈が一番fitするように思っている。
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