適当なtimingに覚醒。
年寄り型浅眠、pet共生型適当寝で、少々sleepyだが、眠むきゃまた二度寝するので何の支障もなし。
特にattractiveな放送もなし。
ということで、故保守思想家の対談をBGMに。
特に詮索的にprofilingするわけではないが、死して追悼文等が並ぶと、より人物像がクッキリと浮かび上がる。
へえって事もあれば、そうだろうそんなこと知ってたけど、、、ということもある。
この方に限らず、身辺の人々も付き合ってみれば、あるいは逆に敬して遠ざけて遠望すれば、よくわかること多々ある。
今日farewellした知己もストンと落ちた。
あれ系の師弟で、ああいう経過で大きくなり、ああ就労し、年頃もああならばこうなる他なしだなあがクッキリ出る。
だからなぜ自分の(仮設)庇護者に過度にベタベタし、逆に居丈高になるのか?
そこがメンヘラの源泉なんだが、その辺りが限度と感じたら危ないので、敬して遠ざける。
この例に限らず、人様のことはよくわかる。
難しいのは自分だ。
自分がこうだと自己表白するところが決して己でない。
そして、上述のとおり、肝は人が教えてくれない。
EHカーの翻訳者が云っていたが、どこどこがカー氏の存在被拘束性だとの物言いをあとがきにあげれど、この東大教授も己の故事来歴にtrapされつつ評論するわけである。
結局、その構図に浮かぶ個性がまさにそのご仁の人格だ。
こちらは、死の一歩手前にこれに気付き、ずいぶんと自由になった。
人生に無駄はない、ありがたやアリガタヤ~♪である。
0 件のコメント:
コメントを投稿