一眠りして、朝方かと起きたら、いまだ深更。
今日はcampusに出かけないことにしたので、一日に使いでがある。
図書室に行って、到着分の書籍は受領し、読破したい。
読み上げれば新地平にたてそうな気がする。
しかし、まあ、人間の思い入れていることのほとんどは外れる。
まさに妄想と称してよいわけだが、だから救われている面が大きい。
問題関心には、どうしても養老さんのいう「自分の壁」つきまとう。
地図と矢印でhigh speckのnavigation systemになるはずが、「バカの壁」や「死の壁」は必ずつきまとう。
養老さんのように、各人「虫の壁」風もつきまとい、バカ離脱は容易でない。
逆に、バカさのない犀利さは面白くないとも言える。
さて、主体性と受容性、inputとoutput、運動神経と感覚神経、それらの統合だが、容易でない。
無心だ座禅だと言っても、その志向にも下心スケベ心はある。
結局、間主観性を意識しながら、己というバカを生きる他ないとは云える。
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